「こしひかり」の里・訪問記(平成27年7月11日)

20数年前夫と私は、著名なアーチストが長岡市の郊外で「野焼き陶芸彫刻」のワーク・ショップをされたのを見に行きました。 その帰り道、魚沼の農村地を走り周り、とある集落の村営温泉センターに寄り、ひと風呂浴びついでに番台で売られていたお米を2キロ買いました。番台の娘さんが「まじりけがないから」と
云ったのを、当時はなんの事だか理解出来ませんでした。その後遅まきながら「魚沼こしひかり」の銘柄を知り、東京のスーパーなどで売られている「こしひかり」は魚沼産でもブレンド物と知り「まじりけがないから」の意味を始めて知ったのです。そしてその時買ったお米の美味しかった事。あの時の感激は忘れません。以来20数年未だにその「こしひかり」を送ってもらっています。そしてその生産者のご夫妻と、電話・FAX・インターネットだけを通じてお付き合いが続いていました・・・・・長年じかにお会いしたいと願いながら・・・・・。
この度山古志村を訪ねた事が切っ掛けで、魚沼に絶対寄ろうと意気込んで車を走らせました。
初めて会う気がしなく、話はつきませんでした。素晴らしいご夫婦で、「この方達が作るお米が美味しくないわけがない」と納得しました。

A夫妻

A夫妻

船見さんs
A夫人と魚沼の家(豪雪地帯で2階まで雪が積もる為、階段が必要)

A夫人と魚沼の家(豪雪地帯で2階まで雪が積もる為、階段が必要)

Aさんの田圃

Aさんの田圃

「山古志村」に行って来ました(平成27年7月10日)

東京で知己を得た長岡市山古志の青木勝氏を訪ねて、山古志を訪ねました。 青木氏は11年前の中越地震の時の山古志の村長だった方で、その後の復興に尽力を尽くされた方です。住民全員が避難生活をすると云う過酷な時を過ごして、まだ爪痕は其処ここに見えますが、復興した山古志を案内して頂きました。震災後アメリカから寄贈されたアルパカが現在62頭に増え、山古志の復興に一役買っています。山古志は錦鯉発祥の地でした。地震の際殆ど全滅に近かい状態でした。しかし今は錦鯉が育って、棚田の池に泳いでいます。又、日本一の手掘りトンネル「中山隊道」(877m)が有り、昭和8年から16年かけて完成。 現在の中山トンネルが出来るまで使われていました。
山古志から魚沼を抜けて西会津(途中関越に入る)まで走りましたが、米どころの農村の風景の豊かな自然にほれぼれとしました。守りたい日本の地方です。標識s

まだ残る爪痕

まだ残る爪痕

全滅した部落の後

全滅した部落の後

牧場Ⅰs

牧場Ⅳs

牧場Ⅲs

愛くるしい

愛くるしい

手掘りの「中山隊道」

手掘りの「中山隊道」

現中山トンネル

現中山トンネル

錦鯉の棚田池

錦鯉の棚田池

風景Ⅰs

風景Ⅱs

「第5回 会津のそばを食べる会」が終わりました。

「第5回 会津のそばを食べる会」が終わりました。

ご参加頂きました皆様、有り難うございました。
リピーターの方が20名、新規の方が30名で、50名の方達が、宗一名人の五分引き蕎麦を堪能しました。
毎回やる毎に口コミでお客様が増え、西会津の紹介にもなり、嬉しい限りです。
西会津の「ミネラル野菜」や「加工食品」も販売して、皆様に喜んで頂いています。

 

今年はグループを作って、宗一さんのお蕎麦を食べに、西会津に行こうと張り切っています・・・。

宗一さんを始め、スタッフの皆様お疲れ様でした。

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第5回 会津のそばを食べる会 & 支援バザー

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       ― 隠れ里・西会津 in 世田谷 ―

― 隠れ里・西会津 in 世田谷 ―
 平成27年3月13日(金)~14日(土)
(要予約\3,000)
第1回 3月13日(金) 午後18時半~
第2回 3月14日(土) 午後12時半~
第3回 3月14日(土) 午後18時半~

西会津町には、磐梯朝日国立公園の秀峰・飯豊連峰を間近に眺め、たおやかに流れる阿賀川など、
豊かな自然に恵まれ、春夏秋冬、四季折々の彩りを見せる美しい町です。
ミネラルを含んだ健康な土壌から生産する「ミネラル野菜」や「蕎麦」で打つ、蕎麦打ち名人に依る「十割そばの会」です。 会津の美味しい水も運び、茹で上げます。60人限定です。(要予約)

同時開催

「西会津芸術村」支援バザー
3月13日(金)~14日(土)pm1:00~

場所 : ギャラリー space S
住所 : 世田谷区等々力5-14-18
電話 : 03-3701-1471
携帯 : 090-2750-1435 
E-mail: ando@nishiaizu-artvillage.com

明治・大正・昭和・平成を生きたある華族の娘 Ⅱ

93歳s

 

 

 

 

No.2

母は平成17年、95歳で永眠しました。 この写真は亡くなる3年前のものです。タイトルの「明治・大正・昭和・平成を生きた」などと書くと、如何にも波乱万丈のようですが、実際はそんなものではなく、父の庇護の元、穏やかな一生でした。 戦争を体験し、戦後のどさくさと食糧難、そして本人の口からそれについては、語られませんでしたが、実家の華族の生活から平民の生活への転換等々、それなりに苦労はあったでしょうが、私ども娘達には、何も言いませんでした。

でも親子というのは不思議です。こんなに近しいのに人生を共にするのはほんの束の間、父母がどんな子供時代、青年・娘時代を送ったかを殆ど知りません。 それとも私だけなのでしょうか。

これから私は、母がどの様に暮らして、どんな方達と関わったのか? 先祖がどの様に過ごして来たのか。過去を辿っての旅に出ようと思います。